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alicewonderland
교육칙어를 교재로 삼고 총검도를 도입하는 데 반해하는 교육사 연구자 성명: 본문
교육칙어와 총검도 도입에 반대하는 교육사 전공자 성명.
일본에서 헤이트 스피치 관련 연구와 실천 작업을 계속 하시는 연구자분들
헤이트 스피치로 뒤범벅이고, 비판하고 문제제기해도 지식인들도 이해하지 못하는 대선상황을 보고
총체적으로 무기력해졌다. 나는 왠만해서는 무기력해지지 않는데
서로 손가락질하는 말들의 무게에 질려버렸다.
말의 무게나 말의 감각에 예민할 수밖에 없기에, "한국에서 헤이트 스피치 분석하는 건, 세계 전부를 분석하는 일과 마찬가지다"라고 농담반 진담반 말하곤 했는데
선거 과정을 보니, 농담할 상황도 아니고, 질려버렸다.
영남 사람을 민도 낮은 원주민 취급하며, 키키덕거리거나 야단치거나, 조롱하는 말들에
나도 너무 상처를 받는데, 지금, 이곳에 있고, 또 계속 있어야만 하는 사람들은 어떨까?
나는 어쩔 수 없이 선생인지라, 수업에 들어가면 학생들 분위기 눈치를 보게된다. '괜찮은건가?'
어제 수희현아 샘들과 저녁 먹으며 그런 이야기를 했다. 영남의 도로회귀나 그런 것에 대해.
오래 전 보았던 <발리에서 생긴 일>은 내게는 뭔가 한 시대의 종언을 알리는 그런 징후처럼 여겨졌던 텍스트였다.
두 세계가 영원히 화해불가능한 차이로 찢어지는 그런 분기점이랄까.
하지원이 "마음을 주지 않는 건, 그게 내 마지막 자존심이기 때문이다"
정확하지는 않지만 그런 대사가 기억에 남아있다.
부산에 와서 외롭고 힘든 대안문화운동, 페미니즘은 씨도 안먹히는 그런 날들을 보내며
어떻게해도 '받아들여주지 않는' 이 세계에 절망하며 바닥까지 내려가서는
그런 생각을 하기도 했다.
타인들이 나를 꼭 '받아주어야 할' 의무가 있는 건 아니니까. 무시하거나 핍박하지는 않지만, '받아주지 않는' 그런 상태를 유지하는 건, 어쩌면 그게 나와 타인들
혹은 내가 맘데로 정한 나와 그들, 혹은 이주자 뉴커머인 나와 토착 부산 운동 집단이라는 그 사이의 거리인 것이 아닐까.
그 거리를 꼭 넘어서려 하는 건, 어쩌면 타인들과 나 사이의 거리를 무시하고 넘어서려 하는 건지도 모른다는 그런 생각.
또 내가 부산에서 지역 혐오에 맞서, 혹은 지역운동에 열심이라고 해서, 꼭 누군가의 마음까지 얻어야 하는 건 아니라는 그런 생각을 하게 되었다.
소수자 정치이던, 문화운동이던, 더나아가 정당 운동이든, 실은 누군가의 마음을 얻을 수 없다.
예를 들어 유권자들이 누군가를 지지하는 건, 정치인이 마음에 들어서가 아니다. 선거를 통한 지지는 마음을 주는 일이 아니다.
영남의 도로 0번 추세가 강화되고 있다. 나는 이들의 투표는 "마음을 주지 않겠다"는 투표라는 생각을 해본다.
즉 대부분 0번 투표하는 이들은, 내가 이를 0번 투표라고 부르는 이유이기도 한데.
이른바 진보 진영에 "마음을 주지 않겠다"는 자기 다짐이나, 입장 표명 같은 것이다.
'나는 너를 인정하지 않아.' 그리고 그렇게 마음을 주지 않는 게 마지막 자존심인 사람들, '우리의 타인들'은 너무나 많다.
마음을 주지 않는다고 야만인 취급, 문맹자 취급, 원주민 취급하는 잘난 서울 사람, 잘난척 하는 젊은이들, 잘난척하는 자식 새끼들.
그들에게 줄 수 있는 건 그러니까.
마음을 닫는 일, 아니 마음은 끝내 주지 않는 일 뿐이다.
그러니 마음껏 잘난 척하고 야단치고 조롱하길.
그렇게 영원한 평행선 속에서 어떤 세계가 화해불가능한 차이로 찢어지는 그런 장면을 본다.
나는 이후로 헤이트스피치 연구를 계속할 수 있을까.
너무 모든게 절망스럽다.
教育勅語の教材化と銃剣道の導入に反対します
私たちは、日本の教育の歴史を研究する大学教員等の有志です。
教育の歴史を学ぶ者として、「教育勅語」の思想を肯定すること、その利用の判断が教育委員会にゆだねられること、そして新学習指導要領(中学校保健体育)に「銃剣道」が導入されたことを深く憂慮します。そこで教育史研究が蓄積してきた学術の成果を基盤としながら、ここに声明を著しました。
この声明は、全国の都道府県教育委員会・政令指定都市教育委員会に郵便で送付します。その上で、日本・世界のみなさまと問題を共有し、ひろくご賛同を募りたいと考えて、このページを作成しました。
声明
「教育勅語」の教材化と、銃剣道の保健体育科への導入に強く反対します。
2017年3月31日、政府は、教育勅語について「憲法や教育基本法等に反しないような形で教育に関する勅語を教材として用いることまでは否定されることではない」という文言を含む答弁書を閣議決定しました。同4月18日には、その教材化にあたっては「学校の設置者や所轄庁において(中略)国民主権等の憲法の基本理念や教育基本法の定める教育の目的等に反しないような適切な配慮がなされているか等の様々な事情を総合的に考慮して判断されるべきもの」との答弁書を閣議決定しました。また、文部科学省は、3月31日付で告示した新学習指導要領において中学校保健体育(武道)に銃剣道を加え、4月7日に朝礼時における教育勅語の朗読を容認する答弁をおこないました。
わたしたち教育史研究者有志は、戦前・戦中期に教育勅語や軍事教練が教育現場に破壊的な影響を及ぼしてきた事実に鑑み、教育勅語の教材化と、銃剣道の保健体育科への導入に強く反対するとともに、教育委員会が政府・文部科学省の方針に追従しないことを求めます。
(1)教育勅語の思想
教育勅語は、明治憲法で主権者とされた天皇が「臣民」に道徳を教え諭した文書であることから、国民主権、基本的人権の尊重を基本理念とする日本国憲法とは、まったく相容れないものです。
教育勅語の第一段落の冒頭で、「皇祖皇宗(こうそこうそう)」すなわち天皇の祖先が古く国を創始し、深く厚い「徳」のあり方を打ち立てるとともに、臣民が代々忠孝に励んできたのが我が国の「国体」の本質であって、それが教育の基盤であるとされています。しかし、このような考え方は「終戦翌年頭ニ於ケル詔書」(人間宣言)において否定されています。
また、教育勅語利用の意図として、「父母ニ孝ニ」から始まる諸徳目の有効性がたびたび論じられます。しかし、それらの徳目は教育勅語を引き合いに出さなければ語れないものではありません。加えて、「以テ天壌無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運ヲ扶翼」(これによって天地とともに永遠に続く皇室の繁栄に献身)するという目的に集約されるものであるため、個々の徳目を個別に取り出すことはできません。
さらに、この「国体」のもとでは、「臣民」は徳目の順守によって「爾(なんじ)祖先ノ遺風ヲ顕彰スル」ことになるという形で、「皇祖皇宗」と「祖先」のつながりのうえに、天皇との厳然たる主従関係に置かれています。日本国憲法、教育基本法に照らして、こうした戦前のありかたに支えられた教育勅語を受容する余地はありません。同時に、「皇祖皇宗」と「祖先」という血統主義に基づく「国体」の考え方は、その血統から外れる他者への排除の論理として歴史的に作用してきました。こうした論理は、他者との共生を目指す現代社会とは相容れません。
教育勅語の徳目、およびそれを支える論理的な構造は、戦前の「国体」思想に基づく国家体制と教育とを分かちがたく結びつけたうえに成り立つものであり、現代社会においてその思想は総体として否定されるべき性格を必然的に内包しています。そのため、教育基本法の制定を経て教育勅語の排除・失効が国会で決議されたといえます。
教育勅語はその本来的な思想から、それを否定するための歴史資料として扱うことを除けば、学校現場で「憲法や教育基本法等に反しないような形」で教材として用いることは原理的に不可能であり、想定することすらできないものです。
(2)教育勅語の利用方法
教育勅語は、戦前の道徳教育のための教科であった修身科だけでなく学校生活のあらゆる場面に登場し、徹底した身体化が図られました。それをもっとも象徴する行為が儀式での校長による教育勅語謄本の朗読です。ほかにも暗誦や筆写、児童に自宅で毎朝朗読させることなどが行われました。
「朝礼時の朗読」を否定しない4月7日の文部科学副大臣の答弁は、教科外活動に及ぶ時間の利用と教育方法に言及した点で、教育勅語のかつてのありかたを肯定するものです。しかしこのような利用方法は、1946年10月文部次官通牒「勅語及詔書等の取扱について」により読みあげが禁止され、重ねて1948年6月文部次官通牒「教育勅語等の取扱について」で教育勅語を記した謄本等の回収を徹底した史実が示すように、歴史的に否定されています。
朗読を肯定すれば、今後そのための謄本の配布等、教材化も進められるおそれがあります。これは学校教育が積み重ねてきた歴史と経験とを否定するものです。
(3)銃剣道の導入
新学習指導要領の中学校保健体育(武道)に銃剣道が加えられました。戦前においてさえも、武道を含む体操科の教育課程に銃剣道が取り入れられたことはありません。戦前期の中等学校で銃剣を用いたのは、体操等科目ではなく教練においてです。教練は教員資格をもたない軍人(配属将校)が担当しました。
戦後は自衛隊の訓練科目として存在していますが、これは軍事訓練を目的としています。国体の選手はほぼ自衛隊関係者であり、競技連盟支部も自衛隊駐屯地に置かれているところが多くあります。これを文部科学省が管轄する学校教育へと導入することは、歴史にない暴挙といえます。
現実として、指導者不足を背景とした学校への隊員派遣が予測されます。現在の学校では教員資格がなくても指導にあたることが可能であり、これがかつての「配属将校制度」を復活させるきっかけになりかねません。
以上のように、昨今の動向は学校教育が積み重ねてきた歴史的経験を否定し、教育の未来に禍根を残すものであるため、教育勅語の教材化と銃剣道の保健体育科への導入に強く反対します。
2017年4月29日 教育史研究者有志
浅井幸子 足立淳 荒井明夫 池田雅則 井澤直也
井上惠美子 井上薫 岩下誠 岩田康之 江口怜
大迫章史 大島宏 大戸安弘 大橋基博 小川智瑞恵
小熊伸一 小野雅章 小野方資 小股憲明 笠間賢二
梶山雅史 柏木敦 釜田史 河田敦子 川村肇
木村元 木村政伸 神代健彦 蔵原清人 藏原三雪
駒込武 近藤健一郎 齋藤慶子 佐喜本愛 桜井恵子
佐藤高樹 佐藤哲也 佐藤広美 佐藤学 佐野通夫
塩原佳典 清水康幸 杉浦由香里 須田将司 高田麻美
高田文子 滝澤佳奈枝 柄越祥子 辻本雅史 照屋信治
鳥居和代 奈須恵子 橋本紀子 樋浦郷子 平田諭治
広田照幸 船寄俊雄 邊見信 堀之内敏恵 前田一男
丸山剛史 宮坂朋幸 宮本健市郎 森川輝紀 八鍬友広
山崎奈々絵 山本和行 山本敏子 湯川嘉津美 吉川卓治
米田俊彦 米山光儀 ほか3名(5月4日現在、50音順)
このページは以下のウェブサイトにも掲載しています。
https://eduhistorians.wixsite.com/manifesto
※※教育史学会・日本教育史研究会・日本教育史学会会員で有志に加わってくださる方は、eduhistorians@gmail.comにお名前とメールアドレスのご連絡をお願いします。上記会員以外の教育史・体育史に関わる研究者の方々もご相談ください※※
- 世界と日本のみなさま
- 都道府県教育委員会
- 政令指定都市教育委員会
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大学で教育学を学んだ一人としていまの事態を看過することはできません。第一次安倍政権のとき、教育基本法は改悪されましたが、それでも根幹はそのままです。戦後教育は「教育勅語」の呪縛から解放されるのに、先人たちのものすごい努力がありました。そうしたことを無視し、わけのわからない天皇崇拝の教育の器の時代に戻ることなど許されません。
賛同します。教育勅語は大日本帝国の教育理念。大日本帝国は存在しません。従って現在教材として使うことはありえません。戦後教育は教育勅語を全否定することから始まったのです。銃剣道。名前を聞くだけで銃殺、銃口、銃刀法、拳銃、銃後等、ぶっそうな言葉ばかりを連想させます。戦前回帰ではないと政府は言っていますが、これが戦前回帰ではないなら、何を戦前回帰と呼ぶのでしょうか。前を向いて生きていきましょう。皇紀や臣民を使う現職の政治家がいます。戦前と戦後の境目が曖昧になりつつある空気に危機感を覚えます。
賛同します。憲法や教育基本法に反しないならと条件をつけていますが、それなら戦後になぜ教育勅語は勅語として取り消されたのでしょうか。その意味を思えば、教育勅語そのものを肯定することはありえません。銃剣道は武道ではなく、戦争をする時に武器の使用法ではないでしうか。