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限りなき相互作用、デモ 본문

일본, 혹은 다른 곳 2015

限りなき相互作用、デモ

alice11 2015. 11. 12. 19:49


立誠劇場。October, 2015



(<<實踐文學>>, Seoul, Korea, November, 2015)



りなき相互作用デモ





權明娥(ン・ミョンア)


翻訳:田



1.経緯

本稿日本についてのではない日本専門家でもない筆者日本についてのれるわけもなくここでろうとするのは日本状況についての評論分析ではない本稿つの経緯もうつの経緯出会りとなりまたいてたなりの連続をつくりだしそうしたりをわす集合体としての歴史がつくられる過程についてのつの報告であり断章であるこの歴史釜山研究集団アプコムと日本高円寺東日本大地震京都市役所前戦争法案反対するさまざまなのデモをめぐるみからまる紙幅られているためそのなかのきわめて一部のみを簡略紹介したいと


韓国にも紹介されているシールズ(SEALDs)のデモの現場れば大学生たちが自己紹介をしてから意見表明する姿ることができる自分でありこれまでデモについてどんなえをもっていたか政治についてや社会変化についてどうえてきたかあるいはなぜ関心がないのかところでまさにそうした自分自身がどんな理由からまさにここにっているのからはなぜこうしたりをするのかデモの歴史縁遠日本社会において現在のように数万人デモが持続できた要因はいろいろとあるだろうとりわけ重要要因るにデモがらの経緯公的またそうしていの経緯わすびの多様発明したところにあるようにえる

日本国会前のデモにする韓国報道ほとんどからカメラでとらえた数万人群衆写真せているデモについて報道してこなかった日本巨大メディアも数多くの人波焦点わせていた日本巨大メディアがデモ何人なのか科学的分析しつつデモ主催者側した参加者数誇張されたものだと躍起になっている姿デモについての巨大メディアとデモとのとてつもない視角をあざやかにしている

東日本大震災以降首相官邸前国会前まったどこにも記録されなかったが日本全地域からまってきた原発再稼働反対」「情報公開んだ無数そして安保法案撤廃のためにあちこちからまり政府かってらの要求えた々は数万人群衆というような量的規模として合算できないらは皆自分なりの事情経験履歴じてまたいにらの言葉くためにまりはじめ依然集まっている二万人なのか二十人なのかが重要でない理由はそのゆえである二十人まってもデモをけているところがここ日本でのデモがもつ重要意味である



立誠劇場。October, 2015





それゆえ本稿でも経緯をまずることでめたいと出会った日本経緯じてそうやってまたさんの経緯へとあらたなりと歴史りだすことができるからである


ソウルのさまざまな人文空間釜山びつける


ファシズムを専攻する研究者として日本はファシズムの研究資料つの書庫であった対案人文学運動関心をもちまた釜山へとにとって日本意味わった釜山もゆかりもなかった移住者として釜山ろしまた地域研究者らに根拠地となる対案空間をつくろうとさまざまなモデルをめたそうして対案研究集団プコムをつくったプコムは半径げようつのとしたそれは地域差別構造学力差別内面化された地方大学研究者差別えていく自己肯定をともにつくりたいからであったソウルのさまざまな人文空間釜山びつけるみは成功失敗したソウルへの往来はチームのメンバーをれさせしんどくさせた試行錯誤この疲労物理的距離感からもたらされるものだけではないことにどうにかづくことができた


歓待と


ソウルと釜山往復する移動逆説的地域差別構造的心情的全身むことになったソウルのだちと仲間たちはアプコムをから歓待してくれたものの歓待だけではをのりえることはできなかったかえって歓待されているためにじる疲労そっくりそのままメンバーらの自分問題になってしまい現実をただ全身むしかなかった


クォン・ミョンアという個人ではなくアプコムの一構成員として行動すべきという強迫にちかいえをもっていたためメンバーらとのソウルれはにそのまま転移したソウルれの理由はそれだけではなかった膨大資料基盤とする研究批評的実践とが自然体質していたため釜山でもめはこうした研究実践をつくったしかしソウルでとはなり資料すための時間的物理的消耗があまりにきかったソウルへ資料しにくことは地方とソウルとの格差じるに十分だったまたりの先輩仲間後輩たちがどんな資料論文使っておりそれは論文続編でありどの資料どこでセミナーがあるといった協業分業とでなっている学問ソウルのみが独占しているのだということをじた


学問的介入言説的介入のためのかねばという叱咤学問言説についての実感がないという地域研究者らのきを実際自実感することができなかったいまもその実感じに理解できるとはえていないまた資料基盤とした研究共同体をよりゲリラ批評的共同体へと転換したのはこうした理由きいまたアプコムのメンバーとともにソウルをねることをやめた


高円寺、311 そして革命のバタフライ効果


そして日本対案空間ねるしたソウルと釜山その地域対案空間いたやり踏襲したソウルの対案空間はよくれれているなのだが釜山地方対案空間はそうではない交換した情報ようやく連絡先しだしねてってインタビューをして記録らの活動共有するそうしていてめて出会ったのが高円寺グループだった高円寺グループをはじめとする日本さな空間いているとき311発生した東日本大地震きた2011アプコムはより以上頻繁日本ねた外国人日本から脱出するのにしく韓国日本する怪談(流言)であふれかえっていたたちはできるだけ日本くことをんだそこにはたちの苦境をともにかちあえるがいたからでありなによりらがんでいくをともにしたかったためである

こうした個人的をまずることは実際本稿において日本についての論議がいかなる脈絡背景にしているかをしくらかにしておきたかったからである日本安保法制批判現場についてはくの論議がなされているのだが、「革命のバタフライ効果とは論理的客観的知識分析とはなる次元地平すとわれるからである安保法制批判のために数万人国会前まりデモをげている現在日本奇跡のような状況あるにおいてそれぞれの経緯経験ばれたからこそ可能だったとえる


2.わす集合体たな歴史くということ

歴史学者である小熊英二監督したドキュメンタリー首相官邸2015月中旬日本全国公開された産業映画公開とはなり各地域のさまざまな場所多様自主上映めた自主上映とは韓国共同体上映形式である日本韓国のようにマルチプレックス映画館などはくないしかし々に会員制運営されているさな独立映画館健在しているとえる京都でも201510から立誠劇場上映まった立誠劇場少子高齢化により廃校となった立誠小学校改造した文化空間である1024首相官邸第一回上映会があったこの日立誠劇場客席20から80まで男女問わず多様々でまった



2015.10月、立誠劇場

ドキュメンタリー映画であるにもかかわらず々を映画ながらためをつき安堵いをかちあった小熊英二社会えるには』『きてってきたなどで韓国でもよくられている歴史学者小熊英二はホームページでドキュメンタリー制作について以下のようにらかにしている


この出来事記録したいとった自分歴史家であり社会学者いま自分がやるべきことはかといえばこれを記録後世すことだとった

映画ったことはなかった映画作りに関心ったこともなかったしかし過去資料断片めてつの世界りあげることはこれまでの著作でやってきたうことになる対象文字であるか映像であるかはこのさい問題ではなかった

いうまでもないが一人った作品ではない同時代現場撮影していたびとインタビューにじてくれたびとがすべて無償協力してくれた 

なによりこの映画主役っているびとすべてだそのびとは性別世代地位国籍出身地志向もばらばらだそうしたびとがつのにつどう姿稀有のことであると同時力強しいとった 

そうした奇跡のような瞬間つの社会めったにれるものではない歴史家だからそのことをっているがやったことやろうとしたことはそのような瞬間記録したというただそれだけにすぎない

いろいろな見方のできる映画だと率直感想しあってほしい映画意味えるのは観客でありその集合体としての社会であるそこからあなたにとってまた社会にとってしいことがまれるはずだ

(小熊英二監督言葉」『首相官邸

http://www.uplink.co.jp/kanteimae/director.php



 災難経験, 地方デモ


安保法案反対デモは東京都心である国会前だけでなく日本全域において多様持続している韓国のマスコミは東京国会前のデモに焦点わせているが全国さな町毎かれるデモの存在もまた重要である日本社会においてデモが民主主義重要として登場したのはまさに東日本大地震福島原子力発電所事故経験びついているこの災難してさまざまな問題提起されたのだが災難経験ですら東京をはじめとする中央専有されてしまうという問題視された


2015数万人群衆まったのデモについての便りをえる本稿において2011東日本大地震福島原子力発電所事故についてのりへとるのはこうした理由からである小熊英二首相官邸はデモを迷惑なものと々の暗黙的合意々とつきうことにれていたびと(日本語空気という表現はこうした社会的雰囲気典型的内包している)がどうやってデモへしていったかについての歴史的記録である。『首相官邸日本社会においてこの何年間デモを持続デモをしてえられるという雰囲気がどのようにづいたかについての研究作業でもある


"怪談"から、”知識主体となり”まで


東日本大地震福島原子力発電所事故以降政府情報統制により々は情報交換しなければならなかった初期には被曝についての怪談(流言)まりもした韓国ではにこうした怪談(流言)まっているしかし怪談(流言)だけでは持続することはできない持続するためにはそしてくためには客観的具体的情報必要である東北地方びとは首相官邸東京電力蒐集した情報具体的要求事項政府対策追及したこうした過程ながらデモは情報知識とをかちあい持続可能とする具体的対策追及するとなったこうした過程において知識以前とはなるへとかうしかなかった知識主体となり知識かちあうがデモの現場となったのである


”パトスを噴出”と”知識生産共有場”


日本のデモの現場はそうしたでパトスを噴出するというよりは知識生産共有となった過去全共闘時代激烈なデモが知識基盤としつつもパトスを噴出するであったとすれば今日日本のデモは知識かちあうとなったのであるこれはきわめて重要地点である日本のデモの現場見物した韓国びとがしくなかったとかあまりに真面目とかの反応せるのもこうした脈絡からえてみることができる

こうした変化つめ韓国でのデモ文化やデモにする立場比較えてみもしたもちろん歴史的局面条件なる韓国日本同一線上において比較するのはしいただ日本社会においてデモについての論議つめながらデモと民主主義関係をパトスと知識かちあい急進性持続性単一立場主導性参加可能性という脈絡からもう一度論議していくくとはきわめて重要だとえるようになった



不安解消するための知識生産共有熱情


日本でも2011々の不安恐怖れとみという情動によりへと進出することになったしかしデモがパトスを噴出するにとどまる破壊された持続することはできないもちろんこれは二項対立的なものではないくの々がデモをしてそしてデモを持続できるということだけでも不安恐怖から変化させられるたな情動へと移行することができたと証言しているそうしたから東日本大地震以降日本におけるデモは不安恐怖情動いにかつことによりかえって変化させともにきぬかねばならないという変化熱情へと移行させる媒介となったとえるそしてこうした移行から不安解消するための知識生産共有熱情重要役割たしたとられる


2011模索舎


東日本大地震以降デモがまり々がしていく過程そうしたから知識生産かちあうなるやり専有する過程でもあったつの場面げてみよう2011東京強制節電施行中であり焦熱地獄のようにかった東京新宿区には模索舎というびたじの書店がある1970年代につくられた模索舎表現言論活動多様性保障ということを目標としているとくに表現言論活動多様性保証するにはこれを媒介するメディア・流通多様性をもたせることが不可欠です模索舎はこの多様性一役うため取次店した主要出版流通ルートにするもうひとつの流通をめざし自主流通出版物ミニコミ主要っています」。

http://(http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/


東日本大地震以前模索舎韓国にははなくなった社会科学書店たような役割たしてきた冷戦体制韓国とはなり日本相対的思想自由幅広保障されてきたのは事実であるもちろん消費資本主義強力日本における思想多様性もまた資本さえつけられてきたそれでも歴史をもちどうにかってきた出版社書店ネットワークは社会雰囲気があれこれ変化するなかでも社会基底にしっかりとろしている模索舎もそのつである


東日本大地震以降模索舎には自主出版物爆発的増加した。「デモのやり」「ポスターのといったデモの基本方法らせてくれるさな冊子からさなまりがつくった出版物全国から殺到してきている模索舎には1970年代スタイルの古典的社会科学書籍製本されてもない昭和時代青年についての論文にした著書同人誌オタクたちの小冊子デモにはじめて参加した々がらつくった上記デモのやりといったんでいる

首相官邸にも登場する首都圏反原発連合のミサオ・レッドウルフもイラストレーターだったもともと青森県核燃料再処理事業反対運動をしていた彼女2007てのしてノーというために」」活動する非営利団体NO NUKES MORE HEARTSをつくることになったイラストレーターだった彼女はこうした活動らせるためにポスターや案内状ロゴなどをつくり団体のそうした仕事をも手助けしながら本来仕事をやめ活動家としての専念することになった(『直接行動の力「首相官邸前抗議」 』クレヨンハウス, 2013)


”強烈なイメージ”と ”えない無数努力とネットワーク”


のデモにくの々が関心をもつことになったのは数万人まった国会のデモという強烈なイメージのためでもあるいつもそうであるようにこうした強烈なイメージがると関心そうだとすればきこうしたイメージをつくるために努力すべきなのかそれも必要なことであるしかし日本においてこの数年間のデモの歴史れば実際重要なことは強烈なイメージより持続かちあうためのえない無数努力とネットワークだとえるだろう1970年代につくられた模索舎はほとんど々の注目びないまま不思議なほどその生存持続してきた模索舎があったから自主出版持続することができめてデモにすためのたに小冊子をつくって配布したい々は模索舎をその媒介にすることができたもちろんネットをじた手軽流通配布重要役割たしたがネットはまたそれだけ簡単情報消滅させる


ってきたネットワークたにじた変化熱情れを媒介する窓口となる


ほとんどのびとのにつきもしないが対案社会変化しつつ社会基底ろしどうにかえてきた歴史あるネットワークとメディアがたにじた変化熱情れを媒介する窓口となるあるでは今日日本社会においてデモは活用できるてのメディアと表現方法をあらたに専有発明するとなったとえる国籍もジャンルも超越ともにじるての道具をデモの表現ジャンルとして発明した高円寺グループのデモもまたこうした事例だとえるだろう

多様なロゴと個性あふれるデモ方式によりあらためて注目めているシールズは実際こうしたデモ歴史のなかでづくられたものである最近シールズのデモの方法えをかちあい討論する書籍大挙出版されている書店にはシールズによる選書コーナーが用意されてもいるこのようにメディアと表現方法をあらたに発明しながらデモは持続している


SEALDs  書架, 立命館大の本屋 

3.後戻りとりない連結発明

どうかすると以上日本専門家やどなたかには臨時訪問者異邦人である筆者誇張された希望的りとることもあろう多分そうかもれないくもない時間のなか出会ったのは日本日本社会というよりは出口のない状況においてただ自分なりに全力くしているびとだったからである


そしてそれはったことのように経緯状況とをんでいたりのかけらにぎない失敗連続強固体制による咀嚼のやむことのない反復関係絶望らへの悔恨自虐経緯はそのように足踏みをしているくもない日本滞留づいているたしてってができるのかという絶望的質問きカッコにれてきたそのわり全力くしている周辺をのぞき希望対案めて一人でもくのおうとめてきたそれゆえあるにはあまりにきく切実ったそうやって全力くしているびとのわしまたえながらはじめて経緯なるりへとすことができるのではないだろうか


らが歴史をつくるという自意識にはさないが結局そうやって歴史いていくらのりをしてめて歴史とはたんにめぐりゆくものではなくしていくものだというさな結末反芻してみる